2010年11月 9日 (火)

SkypeでACミーティングを始めたい

twitterを始めてから、たくさんの元被虐待児の人たちと新たに出会いました。
いろいろ話をする中で知ったのは、孤立している元被虐待児の存在。
私は本を読んですぐデイケアのある医療機関に行ったけれど、ネット以外では仲間に出会えないでいる人や、適切な援助を受けられないでいる人がいる。
ネットを通じてのカウンセリングというものも存在するし、Skypeを使った音声だけのミーティングがあってもいいんじゃないだろうか。

私がACを自覚した頃には、パソコン通信でACの電子会議室というものがあって、そこで大勢の仲間に出会ったのでした。女性クローズドの少人数の集まりにも入れてもらって、そこで誰にも言えなかったことを書いたりしたものです。
自助グループに行くようになったのだって、そこで出会った人の情報があったからでした。私にとっては、ネット上での分かち合いの方が、リアルの自助グループのミーティングより先だったのです。

文字だけのやりとりは、考えていることと表現できることの差が大きくて、ときに誤解を生んでしまうこともある。思っていること、感じていることがうまく伝わらない場合がある。だけど、音声は、文字よりも雄弁だ。話す速さ、抑揚、声に表れる感情、いろんなものが伝わる。文字だけだってあれだけ自分の思いを伝えあえるのだから、音声だったらもっとよくお互いの思いを分かち合うことができるだろうと思うのです。

ミーティングは、足を運ぶことが大事だと言います。何度も、何度も、ミーティング会場に身を置くことが回復につながるのだと。
そういう感覚を大切にする方からは、反発を受けるかもしれません。
実際私も、足を運んで人に出会う、リアルのミーティングを知っていますから、「自宅にいてできる、音声だけのミーティングなんかミーティングじゃない」と思われる方の気持ちもわからなくはありません。Skypeのミーティングが実現したとしても、それがリアルのミーティングと同等だとは思いません。

でも。同じではなくても、ある程度近いものは得られるはずだと思うのです。そして、そこからリアルのミーティングへ行こうと思う人だって、いると思うのです。
ネットのミーティングが必要だと、あるのなら参加したいと思う人がいるのなら、作っていいんじゃないでしょうか。

…というわけで、しばらく前から週末の夜、Skypeで「ACミーティング準備会」というのをやっています。
情報蓄積用に掲示板も設置しました。

Skype ACミーティング準備会掲示板

twitterとこの掲示板で開催日時の告知をしていますので、関心のあるACの方はぜひご参加ください。
申し訳ありませんが、AC自覚をお持ちでない方の参加はご遠慮ください。
よろしくお願いします。

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2010年8月23日 (月)

母との決別

病欠やら休職やらを長年繰り返していたところ、貯金は消え借金ができ、貸金業法改正で追い込まれ、健保の方針変更で復職が延び、資金ショートの危機となってしまった。
あれこれ考え、何人かの人にも相談したが、ここは、母に無心するのが一番手っ取り早いようだ。

母とは、もう10年くらい会っていない。
虐待されていたのだということを自覚してから、会うのが怖くなって、行き先を告げずに2度引っ越した。分籍もした。
それでも母は追ってきた。部屋の前で待ち伏せられて、「帰ってください!」「いやだ、帰らない」と大声で言い合いになり、警察沙汰の騒ぎになった。そのあと数日は眠れず、ひと月ほど寝込んだ。
兄に手紙で軽く脅しをかけたら、直接母が来ることはなくなった。
年賀状や、時折手紙や葉書が届くだけになった。

母と離れて、治療を受け、自助グループに通い、多くの仲間に出会い、山ほど関連書籍を読んだ。
初めのうちは病気の母を見捨てた罪悪感に押し潰されそうになった。虐待を受けた経験を持つ周囲の人たちは、やたらと親に対して怒っていた。その人たちのように怒れない自分はおかしいのじゃないかと悩んだ。しかし、治療を続けるうちに、徐々に罪悪感は薄らいでいき、いつしか母に対して怒れるようになっていた。

それでも、母と接触するのは怖かった。
母は物理的に私の領域に侵入し、私の言動を支配するだけでなく、私の心の中まで侵入し、感じ方考え方まで支配していた。
母から逃げる直前、合い鍵を使って無断で私の部屋に侵入し、キッチンの洗い物や洗濯物の片付けをする母を見て、「母は私に見捨てられるのが怖いから私の世話を焼くのだ。私に無能だと感じさせることで、自分が必要だと思われたいのだ」と悟ったときのぞっとした感覚は忘れられない。
引っ越しても、引っ越しても、ストーカーのように追いかけてきて、私を思いどおりに動かそうとする。
もう母が死ぬまで接触しないでいるしかないかな、と思っていた。

「毒になる親」を翻訳した人が訳した「不幸にする親」という本があって。
その中に、親から経済的な利益を得るために、表面上親に合わせる演技をする人の話が出てくる。
それを読んだとき、そういうのもありかな、と考え始めた。そのときは主治医に反対されたけれど。

ちょっと今回の財政危機は、一時的に借り入れを増やすのも困難だし、下手をすると闇金に手を出したり自己破産したりせざるを得なくなるかもしれない。
いい機会だから、虐待された賠償金代わりに、母からお金を引き出せばいいんだ。
実家を売ったお金をほぼ全額使って母はマンションを買い住んでいる。実家はもともと父の遺産なので1/4は私に相続権があったが、「一番税金がかからない」という分割方式に同意したのだった。ちなみに動産は全部母が隠匿したので、いったいいくら持ってるんだかわからない。

診察で主治医に、母に無心しようと思っている件について相談した。

「これまでのことや思ってることをお母さんに言うの?」

「言いませんよ、そんなこと(笑)。母の機嫌を取らないとお金が出ませんから」

「いいの、言いたいこと言わなくて?」

「言っても私が傷つくだけですから。正面から向き合ったって、母には理解できない。変わろうとする柔軟性もない。」

主治医は、反対しなかった。
少し前は、母に会うのは危険だって言ってたのに。
自分でも、ちょっと、あれっと思った。
なにこのあっさり切り捨て具合。
これが友人が言っていた「あんたは母をきっちり捨てられてるから」ってことなのかな?

母に、理解されることを、求めない。
ああ、なんだ、それだけでよかったんだ。
理解してほしいと思うから、傷ついていたんだ。
親に期待することをやめる。
それが親を精神的に捨てるっていうことだったのか。

気づいたら、なんか、気が軽くなった。
私は、母を、捨てられた!
なんかもう、平気な顔していい娘を演じて、母からお金を巻き上げられそうな気がする。もちろん、自分を守りながら。
気分が盛り上がったので、夕飯はケーキとスイカとハンバーグにした。
近所の商店街のお店で初めて買ったケーキが、おいしかった。

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2010年8月17日 (火)

「児童虐待防止」ブーム?

子どもが虐待を受けて亡くなるニュースが相次ぎ、その後、何故かいつもと違って世間の「虐待」に対する注目が継続している。これまでは、ひどいねー、かわいそうだねー、では次のニュース…という感じですぐに関心が薄れていっていたのに。

虐待を受けて育った当事者としては、これまで散々世間の無理解や無関心を嘆いてきただけに、一種歓迎すべき事態であるとも言えるのだが、どうも手放しで喜べる状態ではない。

一般の方々が現在のところ虐待について詳しくないのはしかたない。だが、子どもを虐待死させた親を、鬼や異常者であるかのように責め立てることに気晴らし以上の意味があるとは思えないし、虐待されるかわいそうな子どもを救いたい、という情熱のあまり暴走と思えるような行動を取る人たちもいる。児童相談所がもっと働けとか、なんで扉をこじ開けないんだとか、「わかってない」発言もあまりに多い。

虐待のことを知らない「幸運な人」たちの中には、インスタントな解決を求める人たちがいる気がして、そんな簡単に解決する問題じゃない、誰かを悪者にしたり、どこかにお任せして済む問題じゃないんだって一から説明しなければいけないのかと気が遠くなるような気がする。

別に私がそんなこと説明する義理も責任もないのだけれど、放っておいたら虐待に関心のある「幸運な人」たちが暴走して、虐待者・被虐待者・援助者・その他関係ない人まで巻き込んで傷つけたり迷惑かけたりしかねない勢いなので、はらはらせざるを得ない。

ブームって怖い…。私は児童虐待の問題がもっと少なくなるように、教育や法整備や人員増強などいろいろなことを願ってきたけれど、一過性のブームになることは願っていなかった。一瞬、人々の関心を集めて盛り上がるが、様々な問題を残したままにまた、人々の関心を失って取り残されるのだ。

ブームに乗っただけの人は、深い知識など求めない。そのとき自分の気持ちのいいように行動するだけ。災害支援募金などならば、受け取った側がじっくり使い道を決めればいいのだからそれでいいのかもしれないけれど。

かつてのACブームの時にはたくさんの本が翻訳されたけれど、ブームのあとにはACという言葉に対する「おとなこども」という誤解が残った。あまりに誤解が多いために医療機関ではACという言葉を使わなくなった。ACを自認する人がいなくなったわけでも、ACの問題が解決したわけでもないのに。

私は今でもACを自認しているけれど、最近では「私はACです」と言うよりも、「私の親は毒親です」(毒親:スーザン・フォワード著「毒になる親」から略されたもの、ネット用語?)、あるいは直截的に「元被虐待児です」と表現した方が自分の立場を理解されやすいような気がする。

どうやら数年後には複雑性PTSD(C-PTSD、もしくはDESNOS)という、症状のある<AC、毒親の子、元被虐待児>に対する病名が認められる可能性があるようなので、その頃にはまたその病名が話題をさらうことになるのだろう。ただ、これは正式な病名となるので、定義も周知もしっかりされるはずだ。

しかし複雑性PTSD、という病名ができたところで、症状は多岐にわたるし、治療法の研究もまだまだこれからだ。長期にわたり就学や就労に支障を来す場合もあるし、薬物療法だけでは改善が見込めない場合もある。心理療法は保険では受けられない場合がほとんどだ(診療報酬が低すぎるらしい)。

虐待への介入、親への支援、子どもへの支援、虐待によって親と暮らせない子どものための支援、虐待を受けた人、虐待をしてしまう人(虐待やDV被害者であることも多い)に対する治療、治療中で働けない場合の生活費の問題、治療法の研究、治療者の育成、保険外治療費、などなど、お金や人手を必要とすることがこれまでもこれからもいくらでもあるのに、一過性のブームで終わってしまったら…。

世の中の多くの人が「虐待?ああ、なんか一時期話題になったけど、なくならないねえ」くらいの認識しか持ち得ず、不安定な政権が児童虐待を「票にならない問題」として軽視したら…。

そうしたら、児童虐待は、また一部の人だけが知り、苦しみ、奔走し、消耗する問題に戻ってしまう。だから、いま、児童虐待の問題に関心を持った人は、どうか、より深くこの問題を知ってほしい。何もできなくてもいい、関心を持ち続けてほしい。この問題を解決する方向に政治が動くよう注視してほしい。

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2010年8月 5日 (木)

兄について

「妹をかわいがる兄」なんてものが、ドラマやお話の中だけでなく現実に存在するなんて、大人になるまで知らなかった。つきあった男性がそういう人で、彼が語る妹の話を聞くだけで「ベタベタして気持ち悪い」と思ったものだ。

3歳くらいの頃は、兄が保育園から帰ってくるのを楽しみにしていた気がする。5歳くらいの頃は、一方的に兄の遊びにつきあって迎合していた。小学生の頃には一緒に遊ばなくなって距離が離れ、中学生の頃には罵り合うようになっていた。高校生や大学生の頃には容姿を激しく罵倒されていた。

兄は常に誰かを貶めていなければ気が済まない人で、家ではその対象が私だった。実際、兄は見た目がよく、社交的で、運動もでき、そういう点で馬鹿にされると対抗のしようがなかった。

ひとつだけ、確実に私のほうが兄より優れていて、でもそれを口にしてはいけないことがあった。………私のほうが偏差値は高かったのだ(笑)。兄は家庭教師を付けても地方駅弁。私は何もしてもらえなくても、結構誇りを持てるところに行った。

母は「おまえには将来お兄ちゃんしか助け合える人がいないんだから、仲良くしなさい」とか言っていたけれど、冗談じゃない。助けてもらったことなど一度もない。

言葉で罵られていただけではない。傷が残らない程度の暴力も日常的にあった。いきなり座っている椅子を蹴飛ばされる。頭を殴られる。結んでいる髪を頭ががくんとするほど引っ張られる。そしてそれをとがめる人は誰もいなかった。

もう10年以上会っていないけれど、たぶん今なら私も容姿のことで兄を罵れるようになっているだろう。……(該当する男性の方ごめんなさい)……「ハゲ!」と。父もハゲ、母方父方祖父もハゲ。濃縮されたハゲ遺伝子は必ずや奴の頭に発現しているであろう…!!

※「濃縮」云々はノリで書いたものであり科学的発言ではありません。

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2010年8月 2日 (月)

元被虐待児イクラさん 被虐待体験を歌う

元被虐待児の歌手 イクラさんのライブに行ってきました。伸びやかな声、しっかりした歌唱力、キラキラと輝くような表情、美しく親しみやすい自作の曲。とても魅力的な歌い手さんだと思いました。

しかしイクラさんの真価はそういう、普通の歌い手さん的な部分にあるのではなく、自らの壮絶な被虐待体験を歌詞にして、深い深い情感を込めて歌い上げるところにあります。

私はあらかじめ、YouTubeでイクラさんの曲「ヒカリ」を聴いていて、どんな曲だか知っていたにもかかわらず、初めて生でイクラさんの歌を聴いて、ものすごい衝撃を受けました。圧倒されました。

あくまで優しく美しいイクラさんの声が、ひどくむごい母の言葉を紡いでゆく…。抑えようと思う間もなく、涙がこぼれて止まりませんでした。共感、などという生易しいものではない。あれはもう一種のフラッシュバックだったのではないかと思います。

イクラさんの歌は、凄い。イクラさんの歌なら、虐待のむごさ、悲惨さ、そして虐待を生き延び成人しても続く苦しみを、多くの人に伝えられるのではないかと思いました。たとえばなにか虐待防止キャンペーンのテーマソングとして、あるいは虐待をテーマにしたドラマやドキュメンタリーの主題歌として。

ちょっと本気でイクラさんの歌を広めることを考えています。(虐待・被虐待経験者はフラッシュバック注意) -- ヒカリ/イクラ http://youtu.be/I0cGisqLtq8

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2010年7月29日 (木)

愛媛・ホメオパシー実践者による医療ネグレクト事件

【事件の概要】

ホメオパシー団体のネット掲示板に、腎臓病の子どもに処方されている免疫抑制剤を与えず、ホメオパシーのレメディを投与しているという母親からの相談が掲示される。
子どもは酷いむくみや蛋白尿が出ていると記載。
ホメオパシー団体は服薬や医療機関受診を勧めていない

このままでは子どもに命の危険があるとのことで、ブログ、ツイッターで情報拡散。児童相談所、警察、マスコミ等への通報が行われる。

警察が母親・児童・主治医を特定。児童は無事。母親が症状を大袈裟に書き込んだとのこと。

ホメオパシー団体が掲示板に言い訳掲載。

【経過詳細】

私がこの件を知ったのは、ツイッターで7/15にリツイートされてきたlets_skepticさんのブログからだった。

医療ネグレクトと思われる例があるということで通報した - Skepticism is beautiful

ビタミンKの問題でも話題になったホメオパシー・ジャパン系のロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーのページで、医療ネグレクトと思われる事例が公開されていた。

ビタミンK2の代わりにホメオパシーのレメディを投与された赤ちゃんが亡くなった件で、助産師が提訴されたために、いま、ホメオパシーに注目が集まっている。
それゆえ見つかったのだと思う。ホメオパシー団体サイトの体験談コーナー(掲示板)。

主訴は腎臓です。2歳で発病し、2年ほど入院し、今は通院しています。10歳になりました。

  • 2歳から腎臓病、2年入院歴あり、現在10歳
  • 免疫抑制剤を処方されているが現在飲ませていない
  • ホメオパシーのレメディを投与するとひどいむくみ、蛋白尿が出現

これは…かなりまずい状態なのではないだろうか。放っておいたら、命に関わるレベルで…。
「医療ネグレクト」…必要な医療を、受けさせない、虐待。病気や怪我の子どもの治療を親が拒否したり放置することで、子どもが死亡したり、障害が残ったりする。
医師の中川剛先生のブログを読んで、私も通報することにした。

【緊急】再びホメオパシーで幼い命が失われようとしています

当該児童は、腎移植後か、自己免疫性腎炎に罹患している可能性が高い。

どちらにしろ、免疫抑制剤の自己判断での中止は、数日中に死の転帰をたどる可能性が高く、速やかな保護が求められる。

児童相談所に通報した人もいたようだが、まず掲示板管理者に情報を開示させ、母親と児童を特定する必要があるため、愛媛県警に通報した。下記の内容をメールしたあと、電話した。

【児童虐待】ホメオパシーによる医療ネグレクト(傷害)と思われる事例

愛媛県警察御中

児童虐待と思われる事例がネットで公開されていますのでご連絡いたします。

腎臓病の10歳の児童が、母親によって薬の投与を中断され、「レメディ」というものを投与されて、病状が悪化しているようです。
母親は「ホメオパシー」という民間療法に関心を持ち、「相談会」というところで相談の上、上記の行動を取っているようです。
子どもの症状悪化を「好転反応」と捉えており、今後も薬を飲ませずホメオパシーでなんとかしようとしています。

上記の経緯はホメオパシー教育機関「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー英国本校」ホームページ内にある体験談コーナーに、母親への回答とともに掲載されています。回答者はホメオパシーによる対処のみ指示し、薬の服用や医療機関受診を勧めていません。

このまま放置すれば、児童がより深刻な病状悪化におちいり、生命の危険もあるのではないかと心配です。
ホームページ上には掲載されていませんが、体験談投稿フォームでは氏名や住所が入力必須となっていますので、サイト運営者は投稿者を特定できる情報を保管しているはずですし、IPアドレスも保管していると思います。
一刻も早く母親と児童を特定し、児童を保護して適切な医療を受けさせてあげてくださるようお願いいたします。

また、母親に薬の服用中断やレメディの投与を勧めた人物や団体についても、きちんと調べて対処していただけますようお願いいたします。

以下、問題のサイトURLとその内容です。

ホメオパシー 体験談紹介
http://www.rah-uk.com/case/wforum.cgi?no=3388&reno=no&oya=3388&mode=msgview&list=new

---以下転載---

(中略)

---転載ここまで---

スクリーンショットも保存してありますので、もし必要でしたら、ご連絡いただければお送りします。
進展がありましたら、公開の可否も含めご連絡いただけますと幸いです。

電話を受けた愛媛県警の人は、「ホメオパシー」という言葉を知らなかったようだ。「一種の民間療法で…」と簡単に説明し、それに傾倒した母親が子どもに処方薬を服用させないために、子どもの体調が悪化し、生命の危険もある状態のようだと話した。
ネット関連の担当者が不在だったのか、「現在ホームページが見られない(?)ので、明日担当者が見て対応する」と回答された。

とりあえず、ここまでしたら、あとは警察の対応待ちだ。

しかし、翌7/16朝になっても、昼になっても、愛媛県警からの連絡はない。この問題に注目している人たちは、ブログやツイッター等で情報を持ち寄りつつ、「どうか間に合うように、手遅れにならないように」と子どもの病状を案じていた。

午後になっても連絡がないため、私は愛媛県警に電話をかけてみることにした。

  • 15:10現在まだ対応検討中。
  • 児童虐待として介入可能かどうか結論が出ていない。
  • 児童と母親の特定もできていない。
  • 医師からも含め問い合わせが相次ぎ、ネットで話題になっていることは把握している。

とのことだった。
命の危険があるとの医師の見解が出ていること、通常の情報開示の手続きを取っていては手遅れになるかもしれないことを伝え、進展があったら連絡してほしいとお願いした。

この件に関する情報は、初めはツイッターやブログでの個別の情報発信が中心だったが、徐々に人が集まるところへの情報の集積がみられたので、私も、ツイッター、上記のlets_skepticさんのブログ、阪大の菊池先生のブログ ホメオパシーによる児童虐待の件[最初に追記あり] の3カ所に、自分の行動や得られた情報を報告することにした。

さて。どうも警察の動きが鈍いような気がする。だとすると、別ルートでの児童の特定を考えた方がよいのではないか。
母親が書いている児童の病歴からは、かなり高度な治療を行う医療機関にかかっていることが推測される。愛媛県で、小児に、そういった治療を行う医療機関の数は限られるのではないか。そちらから調べれば、主治医と児童の特定は可能ではないのか。
まず愛媛県小児科医会への問い合わせを考えた。ウェブサイトはあった。しかし、サイト内に問い合わせ先が見つからない。もしかしたら専用の事務所を持っていないのかもしれないが、せめてメールアドレスを載せるかメールフォームを置くかくらいはすべきではないのか。
しかたないので愛媛県医師会に問い合わせることにした。医師会は開業医の団体なので、今回の件には関係ないかもしれない。児童の主治医が病院勤務医であれば、たぶん医師会の会員ではない。でも、主治医や医療機関を特定できる医師はいるかもしれない。

というわけで、愛媛県医師会に電話した。

はじめ「警察が動いているのなら何もできない」とそっけなく言われたが、児童の治療経過等から、医療機関の特定は難しくないのではと指摘した。
「医療機関が特定できたとしても、情報を公開してくれるかどうか…」
「公開なんかしてくれなくていいんです!どこの誰かなんてわからなくていいんです!主治医の先生がお母さんを説得して治療を受けさせてくれて、子どもの命が助かれば!」
「…そう、ですね…」
もし警察が事態を甘く見ているのなら、児童の命を助けられるのは医師ルートしかないと食い下がり、「検討します」との回答を引き出した。

その後さらに数時間が経過し、動きがないまま三連休に突入してしまうのではないかと危ぶまれるようになった頃、愛媛県警から通報者への連絡が入り始めた。私のところにも20:30頃に愛媛県警から電話がきた。
母親、児童、主治医の特定ができ、連絡を取ったところ、児童は無事だという。
母親が「少し大袈裟に書いたほうが『体験談』に取り上げてもらえるのではないか」と実際よりも大袈裟に書いてしまったのだそうだ。
全国の人に心配をかけてしまって大変申し訳ない、と言っていたという。
火曜日には主治医のところを受診予定とのことだった。

21:30頃には愛媛県警からメールがきた。

通報者殿

 警察において、調査した結果、体験談投稿者と連絡が付き、投稿にあるような深刻な病状ではなく、 児童も無事であることが確認できました。

 通報ありがとうございました。

                      愛媛県警察本部 生活安全部 少年課

事態の推移を見守っていた人たちからは「よかった」「ほっとした」という声が相次いだ。それはそうだ。このままでは子どもが一人死んでしまうかもしれないと思って心配していたのだから。
だが、「とりあえず」と付けるのをみな忘れなかった。
子どもの命には別状なかった。それは、いい。
しかし、今回の事件の原因は何一つ解決していないのだ。

現代医学の薬を「毒」扱いし、レメディで何でも治ると思い込ませる、ホメオパシー団体。
子どもの病状の悪化を「好転反応」で片付け、母親にはレメディの投与だけ指示して、結果、子どもが医療を受けることを阻んでいる。
警察から通報者たちへの連絡があったあとになって、掲示板へコメントを追加したが、後出しの言い訳(母親との口裏合わせあり?)としか感じられない。

ホメオパスからも勝手に判断して薬を止めるのはよくないので検査や現状把握のためにも病院に通うことは必要であると言われ、お医者さんとの相性が悪いということであれば、セカンドオピニオンで他のお医者さんに診てもらうのも一つの方法であると前回の相談会でも言われており…

ホメオパシー団体の指示によって子どもが健康被害を受けた、という証拠がなければ、今回の件で警察がホメオパシー団体を検挙することは困難だろう。

また、母親のほうにも問題がある。
「少し大袈裟に書いたほうが『体験談』に取り上げてもらえるのではないか」と実際よりも大袈裟に書いてしまった、という母親の言葉を愛媛県警は伝えてきた。
子どもの健康について相談するときに「症状を大袈裟に書く」というのはおかしいのではないか。
正確な症状を伝えなければ正確な判断ができないというのは常識以前の話だ。
つまり母親は、正確な回答を求めていたのではなく、自分の相談を取り上げてもらうことが目的だったのではないか。
あの「体験談」に取り上げてもらい、偉い(?)先生にアドバイスをもらうことが、母親を始めとするホメオパシー信奉者にとっては一種のステータスになっているのかもしれない。
こう書いたら取り上げてもらえるかも、と子どもの症状をより大袈裟に深刻に表現する母親。
それはもう、子どもの健康を願ってというより、楽しんでやっているようにしか見えない。
重病の子どもを必死に看護する母として、注目されたかったのだろうか。
子どもの点滴に汚水を混入した、代理ミュンヒハウゼン症候群の母親に近いものを感じる。
子どもの健康よりも、自分の気持ちを優先する。そういう行動を取る母親だ。たとえホメオパシーにはまっていなかったとしても、別の形で虐待を行っていた可能性がある。
この母親に対しては、今後虐待を繰り返さないよう、地域の児童相談所を始め、関係各機関による働きかけや見守りが必要だろう。

翌日、愛媛県警に、お礼のメールを書いた。

愛媛県警察本部 生活安全部 少年課御中

腎臓病の児童の件について通報させていただきました○○です。
ご回答ありがとうございました。
児童は無事であるとのこと、ほっとしました。
素早い対応をしていただき、どうもありがとうございました。

今回の件は、幸い、命に関わるような問題ではなかったようですが、薬の投与が必要とされている児童に対し、母親が服薬を中断させ、ホメオパシーのレメディを与え、結果、児童の病状が悪化した、ということそのものは、事実なのですよね。
命に別状がなくとも、その行為は虐待であると思います。
その母親に対しては、同じことを繰り返さないよう、医療機関、児童相談所、保健所、学校等、関係諸機関で連携しての働きかけや見守りが必要であると思います。
もし同じことを繰り返すようであれば、再度警察が介入して母子分離を行う必要があるかもしれません。

また、母親がそのような行動に至った原因であると思われるホメオパシーの指導をしている団体についても、違法性はないのか、社会的に危険な団体ではないのか等、司法による調査が必要ではないかと思います。

今回のことは、たまたま命に別状がなかったというだけで、決して空騒ぎなどではありません。
今も、別の場所で別の児童が、必要な医療を受けられずにいる可能性もあります。
どうか些細な問題と考えず、今後とも児童の安全を守っていただけますようお願いいたします。

【まとめ】

初めて、虐待の通報をした。
命に関わる状況だと思ったので、子どもが無事だという連絡が入るまで気が気ではなかった。
子どもが、保護してくれるはずの相手に傷つけられるのは、もうたくさんだ。

私は元被虐待児なので、児童虐待問題について、普通の人よりは少し詳しい。
今回、迷わず警察に通報したのも、理由がある。
通常、児童虐待の通報先としては、児童相談所と言われている。
それは間違ってはいないのだが、今回の場合、母親と児童の所在が「愛媛県」以外不明だった。
これでは、児童相談所は、動きようがない。
児童相談所には、ホメオパシー団体に、即時母親と児童の所在を公開させるだけの権限はない。
それができるのは、警察だ。
だから私は、警察に通報したのだ。

児童相談所には、児童虐待に十分対応できるだけの権限も、人手も、能力も不足しているという。
だから私たちは、時によっては警察に通報し、学校や保育園に通報し、政治に訴えていかなくてはならない。
また、児童相談所の役割は、虐待されている子どもを親から引き離すことだけではない。虐待してしまうことに悩む親の相談に乗ったり、いったん子どもと引き離され、治療を受けた親と子どもが再び一緒に暮らすための手助けをしたりもする。親と対立することと、親を支援することを、同じ場所で同じ人々が行っているのだ。苦悩もあるという。このままのシステムでよいのかどうか、検討も必要だ。

虐待を通報したこと(虐待が起こっていること)を公開することについて、「偽善ではないのか」「チェーンメールと同じことをしたのではないか」と居心地の悪い思いをしている人もいるようだ。
私は、全然そんなこと思わなかったし、今でも思っていない。
私が通報を公開したのは、虐待の情報を私に流してくれた人への礼儀でもあると思うし、同じ情報を受け取って心配している人へのメッセージでもある。自分が聞いたこと、取った行動などの一次情報を発信するよう心がけた。まだ虐待を見たり、通報した経験の無い人の参考になるようにという思いもあった。
ネットで事態が発覚して、広まって、通報が相次ぎ、警察が動いて事態が収拾した、という事件の特異性も、「居心地の悪い思い」には影響しているのかもしれない。通常の虐待の発覚や通報は、目に見えるところで行われるものだから。会ったこともない人に「通報しました」と報告しようなんて、思わないだろう。
通報の数が増えたら児童相談所や警察が動くのかどうかは疑問。深刻な事態であると認識されれば、一本の通報だけでも動くのではないかと思う。誰かがすでに通報したあとであれば、通報を控えるか、メールやFAXなど通報先の人手を直接塞がない方法を取った方がよいと思う。

虐待の通報について、私が知っていることをいくつか書いておこうと思う。

  • 通報は匿名でもできる
  • 実際に虐待を確認できなくても、疑わしい段階で通報してよい
  • どの家で虐待が行われているか、厳密に特定できていなくてもよい
  • 家の外に子どもを閉め出すのも虐待であり通報対象
  • 緊急度が高く、強制的な介入が必要と思われる場合は警察に通報
  • 子どもは親をかばって嘘をつくことがある
  • 虐待を見逃して後悔するより、早め早めの通報を

【児童虐待関連サイト】

厚生労働省:平成19年度全国児童相談所一覧
社会福祉法人子どもの虐待防止センター
NPO法人CAPセンター・JAPAN
NPO法人チャイルドライン支援センター
NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク

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2010年7月 9日 (金)

未熟な親(twilogより転載)

子どものとき、母が私に「その日何があったか」といったことを聞いてきた覚えはあまりない。ひとつだけ鮮烈に覚えているのは、小学校で無視されるいじめにあって、家にたどり着くなり泣き出したとき。
posted at 06:23:36

母に「どうしたの」と聞かれて、集団いじめにあったことを話したら、「お母さんが人とうまくいかないから、おまえも人とうまくいかないんだわ」と言われた。私を慰めるでもなく、いじめた子たちに怒るでもなく。『おまえはいじめられて当然だ』と言われたようなものだった。
posted at 06:29:25

どうしてあの人は、ああいう反応しかできなかったんだろう。母も祖母に支配されて育ち、『人とうまくいかない』人になった。幼い娘が他人に攻撃を受けても、娘の傷よりも自分の傷にしか目が行かなかったのか。大人として、親として、あまりに未熟ではないか。
posted at 06:41:55

…書いていて、『未熟な親』というのはけっこうキーワードかもしれないな、と思った。子どものときの私には「ああ、この人に話しても無駄なんだ」程度にしか認識できなかったけれど。母は親として、子どもを保護する立場の人間として未熟だった。そういう人の保護下にあったことが私の不運だった。
posted at 06:48:43

さらに母は、祖母との関係から発生する愚痴を私に垂れ流した。小学生のときから、私は母の愚痴の聞き役、小さなカウンセラー、感情のごみ箱だった。母が私に話しかけてくれるのが嬉しくて、母の役に立ちたくて、私は母の感情をまるごと取り込んだ。自分の心を守る術も知らずに。
posted at 06:59:02

そうして、私は「自分の気持ちよりも母の気持ちを大切にしなければならない」というルールを内面化して育った。それは成人してからも私を縛り続けた。25のとき母が幻聴と被害妄想を発症し、何とか母を医療につなげようとする努力がうまくいかなかったあとも。
posted at 07:14:35

「母が幸せでなければ、私は幸せになってはいけない」本気でそう思っていた。近所の人にいじめられていると思い込んでいる母は、常に不幸だった。母が可哀想で、なんとかしてやりたいと思っていたが、母は病識がなく治療を拒否していた。
posted at 07:54:25

母が治療を拒否したのは、精神科医に「アルツハイマーの初期であなたのような症状が出る場合がある、たぶん違うと思うけれど」と言われてショックを受けたからだ。人格崩壊もなく日常生活をおおむね普通に送っていた母には、論理的に説明するのがよいと医師が判断したのかもしれないが。
posted at 08:06:47

もし母がアルツハイマーの初期ならば、いつ症状が悪化して全面的に介護が必要な状態になるかわからない。そうしたら母を介護するのは私だ。兄は母が発病しても「おまえに任せた」と言って何も助けてくれなかった。誰かが母を看なければならないとしたら、それは当然私だと思っていた。
posted at 08:22:33

いずれ私は自分の人生をすべて投げうって母に捧げなければならないかもしれない。仕事も趣味も何もかも捨てて。そう思うと何をしていても、心の底から楽しむことも笑うこともできなくなった。将来に対する不安…というよりも絶望感と、母を助けてやれない罪悪感でいつも苦しかった。
posted at 08:35:06

その苦しさは、私が母や兄から虐待されて育ったのだと自覚して治療を受け始め、ある程度回復するまで5~6年にわたって続いた。その間が、たぶん私のいちばん辛かった時代だと思う。
posted at 09:36:22

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2010年5月20日 (木)

口蹄疫被災支援募金情報まとめ

中間管理職先生のブログ「勤務医 開業つれづれ日記・2」で、口蹄疫被災農家の方々への寄付・募金の情報がありました。
ご紹介ありがとうございました。>中間管理職先生

コメント欄や2ch情報によると、あちこちで募金受付の準備が整ってきたようです。

もし、「なにかしたい」という気持ちの方がおいででしたら、参考になさってください。

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2010年5月 5日 (水)

児童虐待厳罰化署名?

産経ニュースより

児童虐待厳罰化訴え 母たちが5日に神戸で署名活動

2010.5.4 22:33

 幼い命を奪う虐待をなくしたい-。こどもの日の5日、児童虐待の厳罰化などを求める「ひまわり署名プロジェクト」が神戸市須磨区で関西初の街頭署名を行う。大阪市の松本聖香さん=当時(9)=が昨春、母親らの虐待で衰弱死した事件がきっかけ。企画した主婦の高野弓枝さん(32)=須磨区=は「虐待が相次ぐ状況に、いてもたってもいられなかった」。同じ思いの母親たちが子育ての合間を縫って応援に駆けつける。

 高野さんは、ささいなことで殴られ、食事も満足に与えられずにベランダにほうり出されて死んでいった聖香さんの事件を知り、「あまりにひどすぎる。虐待をなくすためにできることがないか」と関西在住者ではただ1人プロジェクトに加わった。

 昨年10月にはプロジェクトのメンバーと大阪市西淀川区の聖香さんの実家を訪ねて仏壇に手を合わせ、実父や祖父母の話に涙を流した。ただ、自分の子供がまだ3歳と小さく、街頭署名の準備など中心的な役割を担うのは難しいと感じていたという。

 そうした中、今年も兵庫や奈良、大阪で虐待事件が相次いだ。生活苦や育児疲れ、未熟な親など背景はさまざまだが、幼い子が何も分からないまま親の不満のはけ口にされる構図は同じ。連日の報道にいてもたってもいられなくなり、「子育てが大変でもできることからやらなければ」と覚悟を決めた。友人やインターネットの会員制交流サイトやブログで知り合った同じ思いの母親らに呼びかけ、子育て中でも集まりやすい大型連休で日程を調整し、準備を進めてきた。

 5日は、神戸市須磨区の市営地下鉄名谷駅前広場で虐待致死傷罪の新設などを訴え、午前10時~午後3時まで署名を募る。プロジェクトのこれまでの活動はインターネットや関東での署名が中心で、2日までに4万6825筆が集まった。

 高野さんは「協力してくれるお母さんは虐待事件の報道をみて何かをせずにはいられないので手伝わせてほしいという人たちで、励みになった。力を合わせて虐待に苦しむ子供たちをなくしたい」と話している。

     ◇

 ひまわり署名プロジェクトのHP(http://www.maylibridshope.syarasoujyu.com/)で署名用紙をダウンロードできる。活動へのカンパも募集している。

…へーえ。厳罰化で児童虐待なくなると思ってるんだー…。
まあ、亡くなった子どもが可哀想だ、なにかしたいという気持ちはわからなくもないし、署名活動なんかするエネルギーはたいしたものだと思うけど。
悪いけど、その活動、意味ないと思うよ。努力のベクトルが、あさっての方向むいてる。

元被虐待児としては、「親が虐待をしなくて済む」ための親への支援(育児相談、虐待ホットライン等)とか、放っておくと子どもが死にそうな場合にさっさと親子を分離することとか(児童相談所の人員・能力・権限向上、保護・養護施設、里親等の拡充)、子どもに(親にもか)「何が虐待なのか」を教育するとか(CAP等)、そういう実質的に役に立ちそうなことに努力を注いだほうがいいような気がする。
虐待を厳罰化しても、虐待はなくならない。地下に潜るだけだと思う。声を出さずに殴る。子どもに悲鳴や泣き声を上げさせない。髪や服に隠れて見えないところだけ殴る、つねる、火傷させる。傷跡を残さない方法で子どもを傷つける。精神的に子どもをいたぶる。方法はいくらでもある。罰されるのなら、より隠されるだけだ。

いっときの同情で、問題の本質を深く調べもせずに動いてしまうのは、危険なことだと思う。
この、署名活動をしているお母さんたちは、本当に何の悪気もなく、正しいことをしているつもりなんだろう。
でも、ことはそう単純ではない。
このお母さんたちだって、いつ「虐待する親」になるかわからないのだ。たとえばこの署名活動に夢中になることで、自分の子どもに「お母さんは自分より死んじゃった子のほうが大事なんだ」と思わせたら、それはもう精神的ネグレクトに近い。
「厳罰化」なんて言えるのは、しょせん人ごとだと思っているからだ。
「あそこの親、虐待してるんじゃない?」「ひどい親だね」なんてご近所の噂になっていると当の親が知れば、「お前のせいで!」と子どもへの攻撃が激化するか、人と顔を合わせないよう引きこもるか、どこかへ引っ越してしまって介入の機会を失うか――いずれにせよろくなことにはならない。厳罰化というのはそういう危険を高めると思う。
デリケートな問題なのだ。簡単に善悪を分けることはできない。子どもを本当に愛し大切にすることのできる親と、子どもを傷つけ命まで奪ってしまう親の2種類しかいないわけではなく、その間には様々なグラデーションが広がり、揺らいでいる。「子どもを愛している」のに「子どもを傷つける」親など珍しくもない。

児童虐待の問題に、関心を持ってくれる人が増えるのは、望ましいことだと思う。
でも、トンチンカンな関わり方をするのは、やめてほしい。
せめて、関連文献一通り読んで、虐待防止活動を長年やってるNPOや、児童相談所職員、虐待・被虐待経験者などの話を聞いてから、自分にできることを考えてほしい。
元被虐待児として、私は、児童虐待厳罰化に反対する。
厳罰化を推進する署名活動は、やめてもらいたいと思う。

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2010年5月 4日 (火)

Twilogから転載テスト

あーーー…やっと転居先にネット環境移動。インフラは25日に転居先工事&契約&設備導入完了、30日に転居元工事&設備撤去完了していたのでその間に移ればよかったのだが、なにせ荷物が多くて。
posted at 02:33:27

今回の引っ越しではかなり服を処分しているのだが、箪笥2棹分のスーツだのワンピースだのを人にあげてもまだ、要不要未判定衣類が45リットル大ポリ袋5つくらいとでっかいダンボール1つ分くらいと、あとほかにもいくらかある…。要は太って着られなくなった服を捨てられなかったということだ。
posted at 02:43:28

そして本の山。というかほとんど漫画の山。すこし小説、すこし楽譜。すこし鍼灸あマ指関連、医学関連。多すぎ。どう考えても特に漫画多すぎ。漫画喫茶でも開く気か私。なんか抑制効かずにガンガン買っちゃうからなあ…。読み返すかもと思うとなかなか処分もできなくて。でもやっぱり厳選しないと。
posted at 02:56:05

主治医に「間にあわなそうだったら、とにかく運んじゃって、あとで要らないものを分別・処分しようかと思う」と言ったら「それは反対だな。それやっちゃうといつまで経っても片づかないよ」と言われたのだが…それやらないと本当に間に合わない。かなりの量を運んだのに、まーだまだ残っている…。
posted at 03:10:27

手つかずの台所なんか、一人暮らしのくせに笑えるほど物が多い。今じゃまったく料理しないのに、異様に調理器具が充実している。以前食器はかなり処分したので、それでもだいぶましになってはいるが。
posted at 03:20:53

とにかく5/4、5/5で残りの「要る物」(らしき物)を全部運んでしまわないと…。行方不明になっている通帳が出てくるといいなあ。とりあえず本や中身の判らないダンボールはすべて治療室(予定)に運び込んでいるので、これをなんとか片付けないことには開業できない。
posted at 03:39:08

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